青春を山へ

登山記録と過去の登山を日記風に綴っていきたいと思います。

厳冬期単独金峰山2013

僕のツアーガイドさんは、国際山岳ガイドというガイドの中でも特別な存在に位置するお方でした。

その方に単独でオススメされたのが山梨県と長野県の県境に位置する金峰山。


あまり写真などの資料が見当たらないのが残念です。


その日も仕事を終えて家に帰宅後、準備してあったザックを車に運んで出発です。2月の夜は相当冷え込み東京も寒気が強いです。

中央道を経由して長坂インターまで着いて気付きます。。。登山靴を忘れた。


この時のガッカリ様は、想像できると思いますが真面目にガッカリしてました(笑)


仕方なくとんぼ返りして夜中の二時頃に駐車場付近に到着です。時間的に余裕を持って早めに出たのに登山靴の忘れに何度も車が雪にハマり、ハマる度にスコップを持って外に出て雪かきと圧雪して道をつくります。この時に高めのスタッドレスタイヤを購入してましたが雪が凄いと意味がないのをこの時初めて知りました。


もうヘトヘトです。駐車場まではたどり着けないと諦め車を峠の側道に止め予め用意してあった缶ビールと遅めの夕食。温めてもらったコンビニ弁当はすでに冷たくむなしい食事になりました。


疲れもありたいして飲まないビールをわき目に早々と就寝。


寝てるときに雪が降っている地域はエンジンをかけてはいけません。マフラーが雪で覆われ車内に逆流して一酸化中毒になるからです。キャンプ用の-10℃まで耐寒性があるシェラフに潜るが、車の中は冷蔵庫みたいに冷え込みなかなかしんどい。。



朝起きてこの景色



ハマらないように祈りながら運転し....外に出て雪かき(笑)


雪国の人たちは本当に大変だな~と感心しながら駐車場に到着です。


夏山でも金峰山は時間がかかる山であるため早速登山開始!


トレースはしっかりしていて登山口まで少し急な坂道を歩きます。




小屋を通過して金峰山に向かいます。いくつかの凍結した鎖場をピッケルとアイゼンを効かして登り林道を歩き続けます。


うん、非常に長い。雪山を歩くのは楽しいけれど

負荷がかかる傾斜を歩き続けるのは本当に堪える。


この山は今回が初めてであったため、ここから山頂まで二時間!の看板が出てきた時は心がひん曲がりそうなくらい嘘でしょと思った。


しかしまもなく景色が開けて尾根の歩きとなる。風も冷たく鼻水が凄いが

あと少しと思えれば気持ちは一気に軽くなる。


アップダウンをいくつかやり過ごしてやっとの思いで山頂に到着。




看板が雪で埋もれている。。




富士山もしっかりと拝み誰もいないピークを後にする。



そして下山道に問題は起こる。



ピークを後にして歩きアップダウンの途中に後続にいた登山者グループと出くわす。


山頂までどれぐらいですか~と聞かれたのであと一時間もかからないかな?と教えてあげて道を譲る。譲らなければ通れないぐらい尾根道は狭い。


そしてまた僕は下山道に向かって歩き続けるが結構急な岩を下っていく。

こんな所通ったかな?と思うものの進んでみるが先には岩下りではなく崖下りになっていた。


うん、道を間違えてた。どこでだ?と焦る。


体を横に曲げたりして道を歩いた記憶はなく確かに真っ直ぐ歩いてきたはずだが?


後ろを振り返るとさっきとは逆の岩登りがドーンと構えている。


とても疲れていた。これを引き返すか危ない崖を下り登山道に戻るか、こういう時人は楽を取りたいと思うのが普通だ。僕も思った...


でもそれが遭難につながる。ここでそんな事は出来ないと元来た道を登り返す。


山頂に着くまでに力を使いすぎていてこの岩登りはキツい。もっと昨日寝れていればもっと朝ご飯を食べれいれば、当てようがないイライラを抑えながらも滑落しないようにツルツルした岩を登っていく。


そして30分後。先ほどグループと出くわした所に辿り着いた。


そう僕は道を譲るときに左にそれてそのまま真っ直ぐと歩いてしまい道を間違えたのだ。疲れもあったが後は下山だけという油断が、この結果を招いたと反省した。


そして続く長い下山道。林道は変わらない景色が続くので正直飽きてくるが意外に木の根っこが出てたり空洞になっている雪を踏んでアンバランスになるため気持ちはしっかりと持ち続けなければならない。



ようやく朝にみた小屋を後にして駐車場に到着。


安堵と達成感。最高に心が満たされ心が落ち着く。


汗をかいた服から解放されて私服に着替えあとは温泉につかるだけ....。


がしかし雪にハマりどうやっても駐車場から出れない。


もう踏んだり蹴ったりであるのが僕の登山life


この時は駐車場にイケメンなお兄さんが居てくれたため何回もハマる僕の車を押してくれなんとか駐車場から脱出できる。



冷たくなりすぎて赤くいたくなっている手にハーハー息をかけながら雪道の峠を越えて温泉に向かうのだった。

休日はまったりと

基本的に休日は山に出掛けてる率は高いけど温泉に時々疲れた身体を癒やしに行く。


温かい湯船にキンキンに冷えたビール。至福のひとときである。


昨日は家族が集合して宴会だった。昔はずっと一つの家に居て当たり前にあった存在が今では時間を作ってでもしないかぎり会うことは出来ない。

あと何回こうやって集まるこどが出来るかわからないけど家族との時間はやっぱり大切だと思った。


昼頃に起き出した日曜日。

ダラダラと過ごしてウォーキングもかねて近くの銭湯に。


火照った体を冷やすためにビールをグビグビ。


また少し歩いてラーメンを食べに


夜はDVD鑑賞して過ごす。


自分にとってこの休日の過ごし方は大好き。

植村直己冒険館

このブログを読んでくださってる皆様。


あまり文章作成は得意ではなく下手くそな表現しか出来ない僕ですが、niceやコメントを多数頂き嬉しく思います。


このブログは過去の山行と現在進行形の山行をミックスして物語を進めております。面白いと思ってくださった方は物語の始まりから読んで頂けるとより楽しめると思われます。


また今後は、ザイルパートナーの出会いの紹介とともにパートナーもブログ作成に参加するので、そちらも楽しみにして頂ければと思います。


では、今回は四阿山に行ってからのお話になります。




僕のブログタイトルでもある植村氏の青春を山に賭けての本をこよなく愛読している一人であります。


この本は、あまりにも衝撃的で今より不便な昔に無一文でアメリカに渡米し不法就労で捕まるものの彼の熱意で強制送還は免れフランスへ冒険を続けられた植村氏の体験談です。



この紹介ですら誰もが驚く経歴の持ち主です。

知り合いも連れもいないなかで世界中を旅して周り

色々な山々の頂きを踏むその物語に僕は強烈に引きずり込まれました。

本当に凄いのは植村氏は日本人として初めてエベレストに登り、世界で初めて五大陸最高峰を極めた偉人です。今では植村直己冒険賞があるぐらいです。


しかし残念なことに1984年2月13日, アメリカ合衆国 アラスカ州の厳冬期マッキンリーにて行方不明になり遭難死してしまいます。


僕はあの植村氏が遭難してしまう事が信じられず、生前に「冒険で死んではいけない。生きて戻ってくるのが絶対、何よりの前提である」という言葉を残し最期は冒険の下山中に行方不明となってしまいました。


植村氏の本を読めば読むほど登山に駆り立てられまた植村氏をもっと知りたいと強く思い

兵庫県にある植村直己冒険館にやって来ました。




DVD鑑賞や装備の展示に植村氏が担いだ重さのザックが体験出来るコーナーなどがあり楽しめました。




さらに売店ではオリジナルTシャツがあり二着購入。


このシャツは今でもお気に入りで来ております。



また一度訪れたいところです。





植村氏の言葉や活動は、時に僕を支えてもらい助けてもらえるほど深く影響を受けております。


興味がある方は一度ぜひ青春を山に賭けてを読んで見てください。とてもおすすめです。